RSS FeedRSS FeedYouTubeYouTubeTwitterTwitterFacebook GroupFacebook Group
You are here: The Platypus Affiliated Society/抵抗というスポーツ:シカゴで五輪を開催することへの抵抗

抵抗というスポーツ:シカゴで五輪を開催することへの抵抗

March 30, 2021
by Houston Small

 

クリース・マンスーア
カモノハシ・レビュー15 9月2009年

 

国際オリンピック委員会がシカゴを2016年のオリンピアード競技大会の立候補都市の一つであると公表した2008年の夏に、No Games Chicago (シカゴにオリンピックがいらない!)という団体は設立された。この団体の目的は、シカゴが五輪大会を開催することを阻止することであり、それ以上でもそれ以下でもない。No Games Chicagoは、もしシカゴが五輪を開催することになったとしたら、シカゴの労働者階級がその負担の多くを担うことになると主張して反対しているのだ。この主張を裏付けるために、過去に五輪を開催した都市で起こったことや、リチャード・M・デーリ市長の五輪立候補委員会の意思決定プロセスにおける透明性の欠如、五輪を開催する経済的負担がシカゴにとってすでに大きすぎることを示す統計を取り上げている。

確かに、No Games Chicagoが前の開催都市の経験を強調することは正当である。というのも、前の五輪選考は、裏取引、無駄な支出、公共の利益を犠牲にして大企業を優先する金融政策を含む行政上の二枚舌が蔓延っていたからだ(1)。最近のオリンピックの歴史から見れば明確なのは、五輪は開催都市に利益よりも問題を引き起こすということである。No Games Chicagoが主張しているように、シカゴが2016年に五輪を開催するとしたら、前の開催都市と違って良いイベントになると信じる理由は特にない。世界中に金融危機が進んでいる現在、シカゴ市は資金の使い方に対してさらなる注意を払わなければならないとも主張している。それに加えて、もし五輪がリチャード・デーリー市長の政権のもとに開催されたとしたら、デーリー市長の政権を特徴付ける、財政上の無責任さ、長年にわたる腐敗、公共の福祉に対する関心の欠如が強まるだろうと強調している。五輪のための大盤振る舞いが終わるまで、デーリー市長の取り巻きである建築業者は大儲けだろうが、五輪は開催都市にとって収益を挙げるのではなく、損失をこうむる可能性が高いと言えるであろう。

シカゴは、納税者に過度な負担をかけずに、五輪のための費用を捻出し、実施できるかは非常に疑わしいが、シカゴの民主主義プロセスで生じた政治的勢力が五輪の開催をふせげるかどうかということも同様に疑わしい(2)。市議会議員マニー・フロレスは、シカゴ市の通常のニーズに対応しながら、オリンピックを開催するシカゴの能力に対して公式に懐疑的な態度を示したが、最近になってこの見解を覆した。政策決定過程における透明性の向上とオリンピックの総額の制限をフロレスは呼び掛けたが、これはNo Games Chicagoの要求によく似ており、その団体によって影響されたことがほぼ明白なものである。フロレスはオリンピックに対して立場を変えたにもかかわらず、No Games Chicagoはオリンピックに対して「無条件の抵抗」という立場を保ってきた(3)。

しかし、No Games Chicagoは彼らの主張どおり五輪の存在自体に反対していないのであれば、五輪の開催都市が経験した問題を生み出す条件ではなく、五輪への攻撃を中心にするのは間違っているのではないか?病気を根絶せずに、その病気の症状のみに取り組むリスクを抱えているのではないか? 現状からみると、No Games Chicagoは自分の活動によってシカゴでのオリンピック開催を阻止するとしてもーーシカゴが開催都市にならなかった理由は何であっても、No Games Chicagoはそれを自分たちの功績として主張するだろうーーこれは完全な勝利として解釈することはできない。なぜなら、シカゴが避けた問題を別の都市が負担せざるをえなくなり、この問題が将来に起こらないように必要とされるより広範な変化はまだ実現されていないからだ。シカゴーーまたは他の都市ーーがどのようにして労働者階級に被害を加えずに2016年オリンピックを開催できるのかに対するビジョンはどこにあるのだろう?心配なのは、自らに課した制限のせいで、No Games Chicagoは、シカゴにおける政治的・社会的自由のための長期の闘争に影響をあまり与えないであろうということである。これはNo Games Chicagoがこのようなより大きな闘争に直接に取り組まないからだ。

オリンピックを開催することによって生み出される社会的・経済的な諸問題は、世界中のあらゆる都市においても存在している。それにもかかわらず、No Games Chicagoは別の都市における同種の運動との連帯を作ろうとせず、結果としてシカゴの人々は自らのみのために闘争している。他の都市を支援しようという望みがどれぐらい存在するのかは不明のままである。いやむしろ、彼らはまったく否定的な立場で一致しているようだ。

No Games Chicagoは、他の都市の反五輪運動と同じスピード感でしか運動を進められないことは確かである。ただ、No Games Chicagoは、シカゴでのオリンピック開催を阻止するという利己的な目標以上の言説を展開させていない。No Games Chicagoの最も重要なオーガナイザーであるトム・トレサーは、シカゴ・トゥナイトという番組で「五輪を別の都市に持っていけ」と言い(4)、ベン・ジョラッヴスキは、シカゴ・リーダーに掲載されたIOCへの公開書簡で「皆に恩恵を施してください。リオに五輪を譲ってください。マドリッドでも、東京でも。ここ以外ならどこでもいいです。」と述べた(5)のは残念である。オリンピックによってもたらされる社会問題への彼らの懸念はシカゴ以外には及ばないようだ。

(世界中の市民に、スポーツ熱を国際的に共有する体験を提供する目的のある)オリンピックが、シカゴで開催される見通しのなかでこのような内向きの抵抗運動をもたらしたことは皮肉であろう。公式な声明やデモ、シカゴの他の政治的団体や市民団体へのアウトリーチ活動を通じて、No Games Chicagoの主な関心は一貫してシカゴの諸問題に対する認識を高めることであった。しかし、オリンピックの代わりに「より良い病院、住宅、学校、電車」をと要求した後に、実際にこれらの問題の根本的な原因に取り組む試みは少なく、どうやったら問題を克服できるのか議論し始める動きは全くない。シカゴがどのようにして巨大な国際的イベントを開催できる都市になるのか、また開催すべき都市になるのかという将来のビジョンがないままでは、No Games Chicagoは、シカゴが開催都市になろうがなるまいがこのワンイシューが決定された後に反五輪運動を別の都市に広げ促進しポジティブな変化をもたらすことのできない、文句を言っている者たちの場であり続けるであろう。自らの目標を達成するために、その目標を変えなければならない。2016年オリンピック招致を止めることを超えて、将来の目標にむけて自らの活動とレトリックを根本的に変更しなければならないだろう。そうしない限り、反五輪運動は、うわべだけのエンパワーメントの感覚を獲得するために地元の都民を扇動してデモに参加させる以外のポジティブなプログラムを持たない、抵抗文化における定番であり続けるであろう。良くても、別の都市に被害をそらすことに成功するだけだろう。

No Games Chicagoの野心の無さは、自らが「進歩的」であるとみなす運動において完全にありふれた問題となってきた。あまりにも頻繁に、活動家は、「抵抗」の瞬間が自動的に変化をもたらしうるかのように、その瞬間に集中する。現在の制度内の政策や行動に抵抗することは、新しい社会を生み出すような、綱領に基づいた観点を持つことの代わりとなりえない。そこからこそ変化のための本当の闘争が始まるのだ。抵抗ーーまたは抗議ーーの目標をそれ自体として設定することは、今日のいわゆる活動家の無力さを象徴する。No Games Chicagoのような運動は、社会的・政治的変化の必要性に対する緊迫感を維持するが、大きな目標に向けて自らを組織化するビジョンがないため、彼らの抵抗は解放へと繋がらない。結果として、No Games Chicagoは一つの問題だけに焦点を絞った運動のように、オリンピックの真似をしてしまう。デモを行うという行為は、スポーツのように試合の外になんの意義も持たないものとなってしまう。このようなやる気を無くした状態を克服したいのであれば、この抵抗団体は抵抗を乗り越える目標に向けて組織化する手段として自らの活動を想像しなければならない。

 

1)No Games Chicagoが集めた証拠をみるために<nogameschicago.com>を参照してください。五輪という問題に対するよりよく組織化され、客観的であると主張されたアプローチについて読むために、ロンドンのGames Monitor<gamesmonitor.org.uk>を参照してください。

2)オリンピックを開催することの経済的困難についての詳細な説明と研究を読むために、<nogames.wordpress.com/truth>を参照にしてください。

3)フロレスのもともとの立場を読むために、<nogames.wordpress.com/2009/08/02/alderman/#more-1131>を参照してください。フロレスの意見の変化について読むために、Ben Joravskyの“Who’ll Be the Bad Guy Now? Manny Flores Backs Away from the Cap he Proposed on Public Funding for the Olympics,” Chicago Reader, August 12, 2009, <chicagoreader.com/chicago/wholl-be-the-bad-guy-now/Content?oid=1176781>を参照してください。

4) Tom Tresser, interview by Eddie Arruza, Chicago Tonight, WTTW, April 6, 2009, <wttw.com/main.taf?p=42,8,8&vid=040609b>.

5) Ben Joravsky, “An Open Letter to the IOC,” Chicago Reader, April 2, 2009, <chicagoreader.com/chicago/an-open-letter-to-the-ioc/Content?oid=1098601>.