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歴史における資本:左翼の歴史に対するマルクス主義的哲学の必要性

April 2, 2019
by Houston Small

歴史における資本:左翼の歴史に対するマルクス主義的哲学の必要性

クリス・クトローネ

2008年7月25日プラティパス協会は、シカゴでマルクス主義ヒューマニスト委員会とともに「マルクス主義的思想の危機」という公開討論会を開催し、クリス・クトローネは下記の演説をした。

 

マルクス主義左翼を自称する勢力は、歴史の意味をどう理解すべきかについて話したいと思う。

カモノハシ協会は、歴史を考察するにあたって、左翼の歴史を重視している。なぜならば、左翼の歴史を物語ることは、実のところ、現在に関する理論を語ることにもなると考えているからである。黙示的にまたは明確に、左翼の歴史を考察することは、どのようにして現在の状態に至ったのかを説明することになる。私たちは、左翼の歴史に注目すること、左翼中心主義的な歴史観を用いることで、歴史的に左翼が何を成し遂げてきて、また何に失敗してきたのかということが、現在を規定する最も重要な要素であると仮定する。

この演説では、歴史の中の資本に対する疑問とそれが孕む問題を把握するために、左翼、特にマルクス主義左翼と自称した勢力が直面した問題を理解するために、可能な限り広い枠組みと歴史的文脈について述べる。

プラティパス協会は、六十年代はいかなる進歩もなく、左翼にとっての重大な退化であったと主張してきたが、そのような資本主義の内部における様々な位相やその歴史的段階については、ここではあまり言及しない。三〇年代における頽廃の性質は悲惨的であり、そして、六〇年代における頽廃は茶番的となり、最も最近の九〇年代における頽廃は左翼を完全なる弱体化させている崩壊であったが、このような少なくとも三世代にわたる左翼の退化と頽廃によって現在がどれほど苦しめられているかという私たちの見解についても、ここでは説明しない。

頽廃が起こったという認識と、その重要性と原因を理解しようという試みが、プラティパス協会の出発点である、と言うだけで十分であろう。この演説では、頽廃の理論の基本的な仮説について言及する。

マルクス主義的な歴史哲学の可能性に関して発表するにあたって、何人かのマルクス主義者たちに対していくつかの恩義があるが、簡潔に述べるために引用はしない。マルクスとエンゲルスを始め、ローザ・ルクセンブルク、レーニン、トロツキー、それからジェルジ・ルカーチ、カール・コルシュ、ウァルター・ベンヤミン、テオドール・アドルノ、そしてさらに、マルクス主義学者のモーイシュ・ポストンまで、たくさんの書き手たちから影響を受けてきたことを言っておきたい。さらに付け加えると、これらの書き手たちを通じて、哲学的歴史を自由の発展の話であると定義したヘーゲルと対話することになるだろう。ヘーゲルにとって歴史は、それがどれだけ自由の物語であるかによってのみ、意味深いものとなる。

資本は人類史上全く未曾有な現象なので、資本からの解放を目指している運動も完全に未曾有なものである。歴史上における資本の登場が持つ未曾有の性質は、資本を超えようとする運動と関係がある一方、この関係は、資本への移行と資本内部における異なる段階への移行というものと、資本自体を超える可能性のある移行というものという、二つのタイプの移行による偽のシンメトリーを生み出す恐れがある。第三身分の反乱は、現在も継続中であり止まることなく展開し続けるブルジョア民主主義革命の近代の歴史を始め、これはマルクスの政治の基盤となった。しかし、マルクスの観点からは、第三身分の反乱によって始まったブルジョア的政治は、プロレタリア社会主義の政治的思想・活動が超えようとしている、廃れつつある政治形態でもある。

ヘーゲルは、ブルジョア民主主義革命の中の最後の偉大な革命であるフランス大革命の時代の哲学者であることから、第三身分の反乱の理論家であったと言える。19世紀に産業革命が始まった後に現れたマルクスは、ヘーゲルが直面していなかった問題に向き合わなければならなかった。

マルクス主義者によってこれまでよく語られてきたが、完全に理解されていなかったことがある。それは、資本主義を乗り越えて階級のある社会を廃止することが階級意識のあるプロレタリアートの歴史的課題であるとマルクスは認識していた、というものである。逆説的ではあるが、正統的マルクス主義では、このことは人類の前歴史的段階の終わりと、本当の歴史の始まりを意味していた。ある意味では、この終わりと真の始まりの可能性という二重性は、ヘーゲル右派による歴史の終わりという考え方への応答であった。この歴史の終わりという考え方は、言い訳がましい人々が思い込んでいるような、資本主義が全ての実現可能な世界の中で一番いい世界であるというものである。

周知のように、『共産党宣言』の中でマルクスとエンゲルスはこれまでの全ての歴史は階級闘争の歴史であると書いている。後に、エンゲルスは聡明な脚注を加え、「全ての歴史」を「全ての書かれた歴史」と特定している。このことから、エンゲルスは文明の歴史を意味していたと推定することができるだろう。階級闘争としての歴史という概念は、例えば、いわゆる「原始的共産主義」の時代などの、階級が成立する以前の歴史や社会生活には適用されていない。アドルノは一九四二年の「階級理論に対する省察」で、一九四〇年のベンヤミンの「歴史の概念について」を受けつつ、マルクスとエンゲルスによって階級闘争の歴史として捉えられた歴史の概念は、実のところ、歴史の全ての批判であり、歴史そのものへの批判であったと書いている。

歴史の批判は資本の批判にどのような関係があるのだろうか。資本主義の主な問題が搾取であるとする通説には問題がある。なぜならば、このような定義では、資本を他の文明の形態と区別することができないからだ。資本の新しさは社会的支配である。それは、論理的かつ歴史的に、そして構造的かつ実証的に、搾取から区別されなければならない。社会的支配は「搾取」に還元して考えることができないのだ。社会的支配とは資本による社会全体の支配のことを意味している。この社会的支配というものが文明の歴史において、資本が持つ新しさである。資本主義以前の文明の形態では、いくつかの社会的グループが他のグループを公然と支配していたが、全ての社会的グループおよび社会の全体が、唯一の資本の社会的動態性に支配されるというマルクスが認識したような社会的支配は存在しなかった。

ではまず最初に、資本の歴史的特異性を特定するために、およそ一万年前に遡ってそこから始めてみよう。新石器時代に起きた農耕革命によって、人類は遊動的な狩猟採集民から定住的な農耕民になった。これが、文明と階級社会の起源である。それまで、主要であった狩猟採集民という人類の生活形態は、農民という生活形態に移行し、人類はその後の歴史のほとんどをこの生活形態で過ごすことになる。

しかし、数百年前に、農耕革命と同じように重大な変化が始まり、それまでの農民としての農耕生活から賃金を得るために働く都市労働者へと、そして工場手工業者と産業的生産者へとも、徐々に移行していった。

もっと最近の一八世紀の終わりから一九世紀初頭にかけて起きた産業革命では、ブルジョア的時代の文明と社会のある要素が目立ち始め、この要素は近代の出現の歴史に新しい意味を与えた。ブルジョア思想家は、この都市労働に基づく近代ブルジョア社会を「歴史の終わり」と呼んでいたが、近代生活は、農民から都市労働者を基礎とする社会への移行を根本的に問題化してしまうような深刻な危機に落ちいってしまった。

ブルジョア社会と、労働の価値化も含むブルジョア社会の主体性の諸カテゴリーとは過渡的である可能性があるとマルクスは一九世紀に認識した。人類の最終目標はブルジョアの理論と実践においての生産的な個人とされたが、産業革命がもたらしたブルジョア社会における矛盾によって、ブルジョア社会は質的変容に向かって自分自身を超えて行く可能性を得たと認識したのだ。この質的変容は農民生活から都市のプロレタリア的生活への変容と同じくらい重要であるばかりでなく、一万年前に狩猟採集民の時代を終わらせた農耕革命とも同等の重要な変容だと言えるであろう。

一八世紀の終わりに近代のブルジョア社会が加速するとともに、危機状態に突入し、未曾有の現象が政治の世界に現れた。それは「左翼」である。それ以前の政治でも、社会的価値観は確かに議論されていたが、歴史的「進歩」という左翼に特徴的な議論はなされていなかった。

機械生産をもたらした一九世紀初頭の産業革命には、その新しい発展によって引き起こされた楽観的で陽気な社会主義的ユートピアが伴っていた。産業革命は、フーリェやサン=シモン、その他の思想家の想像によって表現されたような空想的な可能性を指し示したのだ。

マルクスは、「ブルジョア的権利」と「私有財産」に基づく社会は実際のところ、すでに労働の社会的構成と媒介に依存していると(つまり、個人の私有財産は社会と対立するのではなく、封建的抑圧を防ぐ新しい社会的制度であり、社会から生じたと)考えた上に、彼は、この第三身分による革命と一八世紀の工場製手工業(マニュファクチャー)時代から一九世紀の産業革命への移行したブルジョア社会の軌道は、未来への開発の可能性を指し示すかと問うた。

マルクスが『共産党宣言』の中で「すべて固定的・恒常的なものは煙ときえ」と表現した一九世紀の劇的な社会的変化のさなかで、すでに1843年時点でマルクスは未来の社会のプロレタリア化を予期し、可能であるならば、どのようにして、プロレタリアの形態をとった人類が自らをその状態から解放するのか、また、どのような必要性の下でプロレタリアは自らを「乗り越え」、(賃労働者としての)自らを「廃止する」のだろうか、と問うた。早くも一八四四年の『経済学・哲学草稿』で、マルクスはプルードンらの社会主義そのものが資本の症状の一つであると認識した。プロレタリア労働は資本を構成するので、プロレタリア労働の政治である社会主義も資本主義の兆候の一つであり、どんな兆候かというと、資本によって条件付けられた社会は過渡的で、資本のかなたに新しい社会は可能であると示唆するようなものである。プロレタリア化は(ブルジョアジーにとってだけでなく)社会全体にとって重大な問題であり、社会のプロレタリア化は資本主義の克服でなく、資本主義の成就であり、そしてプロレタリア化された資本の社会は自分のかなたにある可能性を指し示したということは、マルクスの最も根本的な出発点であった。

それゆえ、マルクスとともに左翼の歴史に対する哲学者が生まれてきた。マルクスは社会主義者あるいは共産主義者であるというよりもむしろ、プロレタリア社会主義の歴史的出現の意義を理解することを自らの課題とした思想家であった。彼は単に最もよいあるいはラジカルあるいは一貫した社会主義者だったというよりは、歴史的に、そしてそれゆえに批判的に自らの立場を理解した人物であった。自らの可能性の条件を認識している知識の形態を展開していたことから、マルクスはプロレタリア社会主義を「科学的」社会主義と呼んだ。

社会的自由に関する近代の問題の特異性をヘーゲル主義的にそしてマルクス主義的に明確化するためには、左翼を、社会経済的な階級という観点や個人主義に反対する集団主義的原則によって社会学的に定義してはならない。むしろ、認識すること、特に歴史的特異性に対して認識することによって左翼を定義することの必要性は明らかになるであろう。

マルクス以来、ユートピア的で曖昧なものではあるが、歴史と歴史的潜在力と可能性の認識の有無が、左翼と右翼を区別している。圧力への抵抗は近代の右翼の主張でもあるので、左翼と右翼を区別するものではない。右翼は過去へ帰ろうという試みを表すのではなく、むしろ現在の持つ可能性を排除しているのだ。

このような理由から、現在の持つ潜在的可能性を認識することは重要である。またさらに、左翼の理論的そして実践的可能性は、圧力への抵抗のもつ即自性にかまけて歴史的認識を放棄した結果、頽廃してきたという事実を認識することも重要である。

プルードン、ラッサル、バクーニンらに始まり、新しいドイツ社会民主党における自分の支持者と彼らのゴータ綱領(及びのちのエンゲルスによって批判されたエアフルト綱領)に至るまでの「兆候的社会主義」へのマルクスの批判は、脱資本的、そして脱プロレタリア的社会の可能性というマルクス的ビジョンを維持する試みであった。

残念ながらマルクスの存命中に、彼が刺激を与えようとしたプロレタリア的社会主義という政治形態は、歴史の認識という最も重要な基準をだいぶ下回り始めた。しかも、この頽廃はほとんどすべてまさに「マルクス主義」の名のもとに進んできた。マルクス主義の歴史を振り返って見渡してみると、第一インターナショナルにおけるアナーキストとの議論に始まり、第二インターナショナル内部での論争を経て、その後のボルシェヴィキが率いる第三インターナショナルと、トロツキストの第四インターナショナルによってもたらされたマルクス主義的労働者運動における分裂に至るまでは、近代的プロレタリア社会主義のための初期マルクス主義の出発点を維持し回復するための、ときには勇敢な、しかし圧倒的に悲劇的な闘争があった。

二〇世紀の後半、歴史の経緯は本来のマルクス的自己意識から頽廃したあまり、マルクス主義そのものが産業社会を支持する肯定的イデオロギーになってしまった。ポスト資本主義社会の可能性は不明瞭になり、その可能性は再発したいろいろなユートピア的イデオロギーという鈍い表現のみ現れ、そして最終的に最も最近の時期には、「アナーキスト」的イデオロギーとロマン主義的な近代性の拒否のヘゲモニーによって表現されている。

しかし、左翼それ自体は、ヘーゲルとマルクスがその歴史的意義について哲学する以前に、すでに存在していたが、マルクス主義に特徴的なアプローチが危機に陥って忘却されるとともに、左翼はほとんど消えてしまった。現在においては、資本がもたらす社会問題への進歩的開放的な反応から保守的反動的な反応を区別することができないのは、マルクスがより適切で挑発的な自己意識を与えようとした一九世紀に現れたプロレタリア社会主義という社会運動が衰退してきたことと不可分の関係がある。

ルカーチは、ルクセンブルクとレーニンに従いながら、一世紀近く前に、逆説的だが、ある点においては資本を克服する可能性は接近しているように見えるが、また別の点においてその可能性は、無限に地平線のかなたに後退しているようにも見えると指摘をしている。絶えず我々を脅かしている日和見主義は、裏切りあるいは恩寵の喪失ではなく、資本から世界を根本的に解放する試みに伴う著しい危険への懸念の表現であると、ルクセンブルクは早い時期に認識したが、我々はこの解釈を受けて、活動できるであるうか。

しかし、日和見主義より深刻な問題があり、現在において日和見主義の危険性の前に考えなければならない問題である。たとえ労働者階級の政治的闘争によって資本を理解し、変えていく能力はまだ完全には崩壊していなくても、この能力の深刻な荒廃とともに、社会的現実を適切に理解することはもちろん、その現実を認識したり把握したりする能力でさえ粗悪になってきた。われわれは日和見主義よりも、目標を見失い、方向感覚の喪失に苦しんでいる。今日、われわれが直面する問題は世界を変えることではなく、より根本的に世界を理解することである。

他方で、マルクス主義的社会主義について考える時われわれは、「ユートピア」を扱うだろうか。もしそうであるならば、ここから何が引き出せるだろうか。資本とプロレタリアの労働の彼方に人間のための可能性があるという「ユートピア的」観念は何の意義があるのだろうか。これはただの夢にすぎないのだろうか。

マルクス主義はユートピア的社会主義への批判から始め、「科学的社会主義」という最も影響力が大きく、しかし見事に失敗した近代の政治的イデオロギーで終わった。それと同時に、マルクスは、なぜここ最近の二百年間が人類の文明史において最も騒々しい変革の時代であるとともに最も破壊的な時代でもあったのか、そしてなぜこの時代は多くのことを期待させ、そしてそれをひどく裏切ったのかという問いに答えるための、重要な鋭い批判的枠組みをわれわれに提供した。過去二百年間はそれ以前の千年間と比べて、より多く、そしてより重大な変化をもたらした。マルクスはその理由を把握しようとしたのだ。他の時代とは違う近代の持つ特異性を認めることができずに、それ以前の時代へと近代の歴史を同化させようとする論客もいるが。(例えば、永遠の封建主義というポストモダンの幻想:ブルーノ・ラトゥールの著書『虚構の「近代」——科学人類学は警告する』一九九三年、を参照)

われわれは、マルクスのプロジェクトをまず何よりも、近代の歴史がすべて「変容という病理」であるという認識として定義したら、何を意味するであろうか。手短に説明すれば、一万年前の農耕革命とともに現れた階級社会と、その後数千年に及ぶ農民の生き方を基盤としたいくつかの文明から始まり、社会的媒介としての商品形態の発生を経て、現在の資本によって支配されたグローバル文明に至り、そしてさらにこの先に存在する人間性の形態へと向かうという過程の認識であるとすれば何を意味するのか。

マルクスによってわれわれは、曖昧で神秘的な歴史的課題への自己意識に直面させられている。この課題はプロレタリア社会主義の実践、という変革の活動のみがそれを論理的にはっきりさせることができる。しかし、激動の近代史の盛衰に対処しようとすることで、実質的に資本を再構築する闘争を選んでしまってきたせいで、この歴史的課題は放棄されてきた。だが、マルクス主義を逆行させ、このような第三身分の蜂起に特徴的であったイデオロギーに同化させてしまうことは、マルクスのプロジェクトに意味と切迫性を与えていた真に可能性のある地平を失うことを意味する。

われわれは、われわれの住む病的な社会における不満の形態を、社会の病気の兆候として、そしてその不満の矛先となる問題そのものに密接に関係しているものとして、認識することで、マルクスとその後現れた最良の革命的マルクス主義者に続くことができるであろうか。現在の左翼の理論的・実践的な死にともなって現れた、時期尚早の脱資本主義と反動的で悪い意味のユートピアニズムを避けて、歴史に与えられた課題を保持し、それを成し遂げることができるだろうか。希望的観測に陥らず、成し遂げた事実をイデオロギー的に崇拝せず、そして現状の苦難という罠を超えた彼方にあるものを犠牲にして、ただ苦難に反対するように見える活動を弁解せずに、われわれが乗り越えようとしている問題の広がりと深さを認識することができるだろうか。

われわれの歴史的時代と、その時代の中のわれわれのいつしか消え去る現在、両方に対する鋭い認識が早急に必要である。われわれは、現在あるもののうちの何が、マルクス主義的な社会的政治的意識を回復する可能性を生み出し、そして、どうすれば回復させることによってその意識を発展させることもできるのかと問わなければならない。

なぜなら、資本に媒介されたわれわれの近代社会がもつ病理、つまり社会的生活のプロレタリア的形態という病理と、それが可能にする人類の新しい形態である自己対象化という病理は、次のレベルの自由への闘争へと向かう必要かつ実現可能なステップを踏み出すことが遅れれば遅れるほど、悪化する一方であるからだ。

病状は、様々な形での人間性の破壊という点において悪化しているだけでなく、それは手ごわいものではあるが、おそらくより深刻で不穏なのは、左翼において社会的状態と政治への実践的能力が明白に悪化していること、そしてその状態と能力を理論的に認識することもままならなくなっているということである。マルクスの思想が危機に陥り、その核心が放棄されたとすれば、それは、マルクス主義の最も根本的文脈であり出発点である、画期的な変化の可能性を持つ偉大で歴史的な時代に対する認識が忘れ去られたということである。われわれはこの時代から逃れられないにも関わらず、その重要性と可能性を見失っているのだ。これからの解放を目指す政治はいかなるものであれ、このような資本的近代性のもつ過渡的であるという本性に対する自覚を回復しなければならないし、なぜこれを認識することに失敗し、高い代償を払うのかという理由の自覚も回復しなければならない。

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