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カモノハシとは何か

November 6, 2018
by Houston Small

左翼の消滅を生き残ることについて

カール・マルクスの共同研究者であり友人でもあったフリードリヒ・エンゲルスについてのある話がある。若かりし頃、良きヘーゲル派の観念論者として、自然の合目的で合理的な進化と、その過程における人間性の役割を確信していた彼は、カモノハシという生物についての記述を読んだ際憤慨し、イギリスの剥製師がでっちあげた偽物だろうと考えた。エンゲルスにとって、カモノハシは自然史に置いて理解できない存在だったのだ。

のちに、エンゲルスは英国の動物園で生きているカモノハシを見て悔しがった。マルクスと同様に良き唯物論者であり、人間中心主義的な自然観を廃したダーウィンの進化論を受け入れた思想家であったエンゲルスは、歴史における「理性」は、自然のそれであろうとその他のものであろうと、人間の理性の現時点においての水準とかならずしも一致しなくてもいいということに注意するようになったのだ。

これは、現在の左翼の現状を理解するために有益であるとわれわれが考えるひとつの寓話である。

現代史に照らして考えてみるとき、左翼は何の道理があって存在しているのだろうか、と問うてみることができる。

あらゆる道理である。ちょうどカモノハシが道理を持っているように、どれほどこの道理が、分類し理解することが難しいものであったとしても、である。

我々は、過去と現在の歴史が未来を決定する必要はないと主張する。過去と現在における左翼の失敗と喪失はわれわれを教育しわれわれに警告するべきだが、われわれはそれらに魅了され虜にされるべきではない。

したがって、われわれを解放するために、われわれは左翼が死んでいることを主張する。より正確に言えば、われわれがその残りのすべてである。

これは事実というよりも、むしろ意思を表明するステートメントである。

それは、左翼が生きながらえるべきであるという意思であると同時に、それは自らを乗り越えることによってのみ可能であるという認識でもある。そして、われわれはそののりこえそのものなのだ!

そこで、では、われわれとは何なのだろうか?

われわれは二〇世紀の歴史によって教育され、警告された(しかし恐怖に陥らされたわけではない!)左翼の思想家たちである。「死者をして死者を葬らしめよ」、われわれの行動はまだ過去の苦難を購うことができるだろう。

失敗し裏切られた解放の試みの後で、またそれらの失敗についての不十分な自己理解に照らして、われわれはこの歴史を、現在と未来における解放の闘争に資するために、再領有するよう動機付けられている。

このような目的へと向けて、(ベンヤミンのように)歴史を逆なでして読みつつ、現在においてもいまだわれわれに語りかけてくる出来事から生じた思想と問題を指し示す人物達のリストから、われわれは始めれば良いだろう(挑発的と思われるかもしれないが)。それは、マルクス、レーニン、ルクセンブルク、トロツキー、アドルノだ。ここで記述するのはこれらの人物達たちによって代表されるものにすぎないが、それ以下では決してない。

より良く、考えうるかぎりの批判的認識の獲得とわれわれの目的の発展に向けて、われわれはこれらの人物達に関する安易で誤ったあらゆる認識と、彼らと同一視されている思想と行動について広く受け入られている知識のすべてを克服するだろう。

左翼の歴史において、重要なのは1848年と1917年という日付である。1968年ではなく、1989年では決してない。1848年と1917年という日付は曖昧な敗北と勝利の余波を表す。しかし、それより、敗北によってもたらされた洞察と、完全に開かれた未来に向けて、そうであった必要のない現在と歴史に関する認識を表す。果たされていない可能性を留めたままの、収まることのない1848年と1917年の精神は、いまだ救済されていない未来に語りかけ続けていくだろう。

近代性の歴史はまだ終わっていないし、それが約束したものが果たされない限り、終わることはないだろう。それゆえに、われわれは近代への疲労という(誤った)感覚を共有しない。解放に向けて近代を変革するという課題は一定程度放棄されたと認識し、その課題の必然性がわれわれにとり憑いている。

われわれは、われわれの必然性を認識している。

われわれは、「存在するものすべてへの容赦のない批判」という点において青年マルクスに同意する。1789年の後のロマン派の絶望に対する闘争におけるヘーゲルとは異なり、われわれは現在の必然性をただ「悪い」ものとしてしか捉えていない。この現在は肯定するに値しないだけでなく、まして尊敬するに値しない。というのも、われわれは現在を、左翼が自壊し溶解したときに現れたものとしてしか認識しないのだから。

それでは、エンゲルスとカモノハシの寓話とともに、途方もなく困難ではあるが決して不可能ではない、次の左翼のための課題とプロジェクトに取り掛かり始めよう。

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